「金融ビジネス」誌 1994.2 Booksこの一冊(書評)

『女たちのウィーン』ロート美恵著 妖しい都市に生きる自由な女たち
 評者:東洋経済新報社 百瀬敏昭 氏

 ウィーンというと何を思い浮かべるだろうか。観光案内風に言うと、モーツァルトとシュトラウスの軽やかな音楽、ドナウ河と古城と、はるかにアルプスも控える洗練された都会。少し歴史と文化の味をまぶすと、ハプスプルグの栄華に、フロイト、ヴィトゲンシユタイン、クリムトの世紀末の風景か。

 われわれの前にまたひと味違ったウィーン像が提示される。これは、八つの章に記された、ウィーンの今を生きる九人の女性の物語である。

 マイヤ フオルクスオーパーの合唱囲の一員。旧ユーゴスラビアのクロアチア出身。ザクレブ大学で化学を専攻、ドクターの資格まで取っていた(歌手への道のり)。

 ガバ ウィーン大学の医学生と婚約。18歳の若さでブティックの経営者、デザイナー。だが、すぐに婚約は解消された(ウィーンの中のユダヤ)。

 アンジェラ 芸大生のためのアトリエ兼住まいを市当局と掛け合って確保。自らの肉体をもオブジェとする制作に没頭(芸術家ゲマインシャフト)。

 現代世界という表層に泳ぎ出た彼女たちにも、ウィーンという深淵の影が差す。それは、ウィーンの街の退廃と不思議な生命カのなせる業だ。「ウィーンには、昔から肉体とエロスと死を三位一体のようにして考える流れがある」という。

 ウィーンはわれわれが単純にイメージする西欧の街ではない。東欧どころか中東的なものまでも、広範な周囲の要素を求心したような都市である。とにかく異郷の人間の集散は想像を超える。コスモポリタンの街。それの織りなす綾。

 しかし、いったい書かれていることはすべてが事実なのだろうか、それとも事実を下敷きにしたフィクションなのか。

 「……すらりと伸びた足をきらきらと光るストッキングに包んだうら若い娘。体にぴったりとしたブラウスの胸元は深く切り込まれ、痩せ型なのに豊満な乳房の重みが伝わってくる。……娘の方に時折シマルコの怪しげな視線が向けられている。そして娘もシマルコに官能的な頬笑みを返した。何かにはじかれるように私はムーラン・ルージユを後にした」(ホテル・オリエント)。

こんなくだりを読むとその感をよけい深くする。

 著者は明示してはいないものの、どうやらノンフィクションらしい。だが、よくできた短編小説仕立ての趣がある。それほどに登場人物の描かれ方は数奇で個性的であり、そのくせ真迫性を持っている。

 著者は1975年に高校を卒業してすぐドイツに渡り、81年ウィーンにやって来た。ウィーン工芸大学(芸大)に入学、85年に修士課程を終えている。本職はインテリアデザインを得意とする建築家で、87年に本拠を日本に移したが、日墺を股にかけての活躍を続ける。

 と、簡単な経歴紹介でも分かるとおり、著者こそこの東洋の果てからヨーロッパに一人旅立って、かの地の人々に伍し、われとわが身を鍛え、守り、生き抜いてきたコスモポリタンである。だからこその体験があり、それによってわれわれは、他では知りがたい、かの地の人の生きざまを垣間見れることになった。

 妖しの都に生きる女たちは、したたかで優雅でとても自由だ。