ウィーン、芸術、日々の楽しいエピソードを記した「ロート美恵のサロン」のページを再現したものです。
ロート美恵のじゃじゃ馬ならし
高校2年、座間キャンプ内馬場にて
第一話 登校拒否
牧場を駆け抜ける馬達の姿を初めて見た時の感動を忘れない。
先祖はモンゴルの遊牧民だったのではないかと思うときがある。それほどあの時の風景が子供の頃の幸せの原風景の一こまとして脳裏に焼きついている。
11歳、八ケ岳の清泉寮ですごした夏休みのことだった。他の子供たちはアイスクリームに夢中、わたしはひとり、山脈を背景に野原を駆け抜ける馬達の姿にくぎづけになった。世の中にこんなに美しい生き物がいるのだろうかと息を飲んだ。学生に手綱を引かれ馬の背に乗せてもらった。馬の毛は短くてビロードのよう、おそるおそる触れた肩が温かい。鞍を通して伝わる不思講な振動と温かさ。
その夏の日の体験を契機に、わたしは馬にとり憑かれ次の年の夏にまた馬に会えることだけを夢見て一年をすごした。
中学に進学。「麹町中学校に入学すれば、皇居で乗馬ができるのよ。それもただで。」そんな母親の言葉に、中学は麹町しかないと心に決めた。乗馬クラブの入部希望者を募って行われたくじ引き。88人中5人だけが選ばれる。見事落選したわたしは、翌日から登校をボイコット。閉口した学校側の取り計らいで特別に入部。そして乗馬に明け幕れる毎日が始まった。
「女のくせに何事か!」毎週末家を出るわたしを追いかける父親の怒鳴り声。週末になるとこそこそと家をでるわたしの心はおびえていた。何かに心の底から熱中することがなぜ悪いのだろう。女だからとなぜやめさせられるのだろう。反対を押し切って私は毎週皇居に通い馬房の帰除をした。下級生が馬事公園内の警察騎馬隊で訓練していることを聞きつけ、日曜日には馬事公園にも出没していた。
‥‥つづく‥‥
あたまへ戻る
コスメティック・デザイン
株式会社アルビオンのためにデザインしたコスメティックの製品や空間です。
どこかで見覚えありませんか?
あたまへ戻る
大谷芳久氏の「猿でも解る」トニー・クラッグ
TONY CRAGG
Spyrogyra(アオミドロ)/1992/ 豊田市美術館所蔵
リバプール生まれの現代彫刻家、トニー・クラッグ。一目見たその日から忘れられないスパイロジャイラ(アオミドロ)。脳裏を横切ったのは生、命、という二つのことばだった。
不思議なことがあるもので、それから数年後トニー・クラッグ展のカタログを手にした(1997年に豊田市美術館で開催された回顧展と同時に出版)。くださったのは大谷芳久氏。トニー・クラッグ展を企画し、インタビュー、カタログを手懸けた張本人。知人の個展で運命的な出合いをした私は、氏のただ者ならぬ気配にひかれ追跡を開始した。
ずばり猿でも解るトニークラッグ、スナックのママさんにも喜ばれるインタビュー。ユーモアたっぷりの氏の言葉にわくわくしながらカタログのページを開いてみれば‥‥
二人の対話は落ち着いたバーでブランディでも傾けながらの語らいという調子だ。楽しい、その上わかりやすいこと。難解という先入観の付きまとう現代アートの醍醐味を堪能できる。大谷氏のインタビューはいたってざっくばらん、ところがどっこい、創作活動の始まりから現在に至るまでの軌跡をはじめ、ものづくりの動機や根底にある思考、一環して貫かれる作家の姿勢と哲学が巧みに引き出されていく。
クラッグの膨大な作品群を系統図化するという気の遠くなる厳密なアートの分析をもいとわない大谷氏の芸術への姿勢、本物を見極める審美眼がなせる技だ。ものを創ることの動機や背景をこれほどきちんと伝える本が今までにあっただろうか。難解な文章の羅列、海外の評論をそのまま翻訳したり、美術の見かけだけを伝える本がほとんどではないだろうか。
──生きていれば、朝になって目を覚ましたり、肉体感覚を持つことのすばらしさに不意に気づく瞬間がある。例えば口に入れて味わっているものが、大昔に酸素を作り出した藻のような食物から何億年もかけて進化したものだと気づけば、人生がそれまでとは全く違ってみえるだろう。── /トニークラッグ
日ごろから現代アートに触れる機会もない私はショックだった。アートなど見てはいなかったのだと、思い知らされてしまった。感性のなんのと知ったかぶりで芸術についてうんちくを並べていることが、どんなに的外れだったか、謙虚になると同時に芸術の深さと何よりも楽しさが堪能できる貴重な一冊だ。
芸術は生きること。心から実感する本物との出合いだ。
(『トニークラッグ展図録』発行 豊田市美術館 1997年。豊田市美術館ミュージアムショップにて入手可能)
あたまへ戻る
ある芸術家のパーティー
オーストリアののどかな田舎、見渡す限り畑と野原。
そんな畑の下からある日突然、高速道路が出現したからさあ大変、村中が大騒ぎ‥‥
このプロジェクトのおもしろさは、芸術が公園や美術館というくくられた環境でなく、突如何の変哲もない畑の中に出現したところにある。
「高速道路」でお弁当?、ピクニックに訪れる子ども連れの家族。「畑の中に高速道路ができたんだよ」誇らしげに子ども達に説明する老人。「高速道路」がダンスの舞台に早変わり、「高速道路」の周りで繰り広げられる村の秋祭。「高速道路」の意義についてスピーチする政治家。「高速道路」に猛反対、立小便で抵抗する農民。
「高速道路」が生み出す地域住民とアートとの関係がおもしろい。
PRINZGAU/podgorschek(プリンツガウ・ポドルチェック)という現代アートの芸術家をご存じだろうか。上の写真は、彼の代表作。畑に穴を掘り、短い高速道路を建設し、少し埋め戻して、あたかも発掘されたかのような状況を創り出した。
青いオブジェは高速道路のプロジェクトの模型。掘り出した土をそのままの形で隣に盛り土した様子を表している。
これが本人の肖像とサイン。日本のお地蔵様にも見える。
1997年7月28日、ロート事務所で彼を招いてパーティーが開かれた。いろいろなジャンルの人が集まり、彼の講義に耳を傾けた。模型の前にロウソクを立てたり、自らリンゴの皮をむくなど、実演まじりの熱心な解説によって、彼独自の難解な理論も(幾分)皆に伝わったようだ。
あたまへ戻る
多事騒音
天才アラーキーとの密会現場、週刊フリーデイがスクープ!?
1997年9月、ウィーン分離派館で天才アラーキーの写真展が行われた。
ヨーロッパ各国の報道の中で、「縛り」をテーマにした写真を巡って女性蔑視と息巻く記事に氏は大満足。「論議を呼ぶことこそが重要なのだ!」 私の著書『「生」と「死」のウィーン』を読んで頂いたことがおつきあいのきっかけだ。
写真は1997年冬、渋谷エッグギャラリーで行われたオーストリア在住、古谷誠一氏の個展にてアラーキーと再会、「やっぱりウィーンは最高だね」。
あたまへ戻る